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いかにして和紅茶の知名度をワールドワイドにする? 「田宮緑子 紅茶のグリン子先生の“夢あるなぁ~世界へ発信する京の和紅茶のおはなし”」

2018年10月12日(金) レポート

京都国際映画祭2日目。元淳風小学校では、日本産の茶葉を使った和紅茶をいかに広めていくかについて考える「田宮緑子 紅茶のグリン子先生の“夢あるなぁ~世界へ発信する京の和紅茶のおはなし”」が行われました。

タイトルにも入っている紅茶のグリン子先生こと田宮緑子は、「おいしい紅茶と笑いは、人を幸せにする」をモットーに紅茶の魅力を追求し、ワークショップなどでその魅力を発信してきました。今回は数多くある紅茶の中でも「4年前に知った」という和紅茶に焦点を当てます。ゲストは吉忠株式会社代表取締役社長・吉田忠嗣さん。吉田さんの会社は、全国の百貨店9割と取り引きがあり、マネキン業界において世界トップクラス。世界を相手にビジネスを行なっているからこその視点で、まだまだ知名度が高くない和紅茶を、いかにしてワールドワイドなものにするかを考察していきます。

前日のオープニングセレモニーを振り返り田宮は、「毎年盛大になっている」と年々発展していく京都映画祭の盛り上がりに触れ、「京都で加工される紅茶の知名度が上がって、世界へ発信する。これは夢のある話」と目を輝かせながら語ります。

そして、ゲストの吉田忠嗣社長をお招きします。田宮は早速、「社長は紅茶をお飲みになられますか?」と質問しました。少し思案顔の吉田社長は「好きですし、飲みますけどコーヒーも飲みます」と回答。会場には同様の答えをお持ちの方がいらっしゃり、ちょっと罰の悪そうな顔で田宮もたまにはコーヒーを飲むと告白していました。

続いては、ご紹介がてら吉田社長の会社の歴史をお聞きしました。呉服問屋から始まり今年で創業143年目となる吉忠株式会社。3代目の父親がマネキン事業を島津製作所より買い取り、発展してきたと雄弁に語られました。途中、面白い豆知識が飛び出します。マネキンの語源は日本語なんだそう。「フランス的に思われる方もいるかもしれませんが、お金=キンを招きたい、“招く金”でマネキン」と遊び心によるものが世界共通語になったと教えてくれました。

そして吉田社長は経営者にとって大切なポイントを述べます。『人・もの、タイミングを見る眼』が極めて重要と力説。そこで田宮は「見抜くチカラはどこから生まれてくるのか?」を問うと、「先天的、後天的と難しいところがあるけど、必ずしも先天的なものだけではない」と吉田社長はキッパリ。さらに語気を強め、「毎日、色んな人と話をし、新聞・テレビを含めて色んなものを見ることで自然と自分の中にものに対する判断力がついてくる」と言い切ります。「どれだけ良い人たちを知っているか、話をするかが自分の教養にもなる。それが見る眼にもなるんじゃないかな」と、ひとつの答えを提示していました。

次々とためになるエピソードを繰り出す吉田社長の言葉に、深い感銘を受けた様子の田宮。そこから「素敵な和紅茶を発信していける」アイデアをひねり出そうとします。その前に、会場内に和紅茶が振る舞われました。配られたのは、共栄製茶株式会社が手掛けた京都府産の茶葉を使用した「京(みやこ)」の水出し紅茶です。飲む前に、と田宮は「まずは茶液の色をご覧になってください。水色が美しいかどうか、透明感があるかどうかっていうのが大事なんですね。そして香りをチェックしてお召し上がりください」と作法を伝授しました。

「冷やすと甘みが出てくるんです。飲みやすくないですか?」と田宮がみなさんに問いかけると、好反応が返ってきていました。吉田社長も「これを飲んだら、これからコーヒー止めようかな。美味しい。家でもできたらいい」と大満足。会場には共栄製茶株式会社の方も参加されていて、吉田社長は販売価格を確認、「どこに行ったら買えるのか?」とすっかり気に入った様子でした。

そして田宮は、大手飲料メーカーからも和紅茶の飲料が販売されていることを話題にしながら、「和紅茶の世界への打ち出し方」にトークテーマを移します。これまで試す機会が少なかった吉田社長から「色んなフレーバーを比べてみたいな。自分に合う紅茶を試飲できる機会を増やしてもらって、ファンを作る。そういう努力が5~10年必要じゃないかな」と具体的な案を出し、「ほんまもんであれば広がっていく。宣伝媒体といい形で組めたら、それだけでも広がっていきますよね」と経営者目線ならではのアドバイスをしました。

吉田社長からの熱いメッセージを受け田宮は「イギリスの紅茶文化の礎が日本の茶の湯にある」説を唱えている『茶の世界史』という本を挙げ、「それは夢があることで、信じている」と言います。そして、、「(その説のように)和紅茶がまた日本から発信していき、浸透すればいいな」と願望を強く述べ、和紅茶の伝道者としての気持ちを強くしていました。

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